山科についてご紹介していく「山科めぐり」。5回目の今回は、山科一帯の「総社」とされてきた、山科神社を紹介します。
伏見稲荷大社の反対側、「神の山」の神社
そもそも山科(やましな)とは珍しい読みかたですね。 この名は古く、7世紀にはあったそうです。 もともとは、「しな」とは坂道や階段を表し、山がなだらかな斜面となって盆地になっている地形からつけられた、と言われています(※1)。 古くは「山階」と書かれることが多かったそうで、現在でも「山階(さんかい)小学校」という学校の名前に残っています。 山科の西側にある小高い山が稲荷山です。この山は古来から神の山として知られており、西の山麓に位置するのがあの伏見稲荷大社であり、そして東の山麓に位置するのが山科神社です。 今年の5月に紹介した「大石神社・岩屋寺」よりもさらに奥へ登って行ったところにあります(岩屋寺はもともと山科神社の神宮寺です)。 |
地元の豪族の祖神から地域の産土神に
苦難の時代を乗り越えて現在へ
江戸時代に入ると、徳川幕府によって社領の多くが没収されます。さらに明治初期には社寺上地令により、境内地も著しく減少し、大きな打撃を受けました(これによって現在と同じくらいの広さになりました。なんとか奮闘の時代を乗り越え、現在に至ります(※2)。 2015年には、1120式年大祭事業の一環が開かれ、摂社・末社などが改修されました。
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参考文献
※1)山科神社史編纂委員会(編).(2017).『山科神社史』.イーブックマイン.
※2)吉川弘文館編集部(編).(2010).『京都古社寺辞典』.吉川弘文館.